Nutella って知ってますか?
学校で食べ物の話になったとき、皆の口から頻繁に Nutella という単語が登場してきました。
僕達はこの言葉を全く知らず、「なにそれ?見たことも食べたこともないよ」と言ったところ、クラスの中は大騒ぎ。
「えーっ!!信じられない」とか、「これはスキャンダルね!」とか。
ヨーロッパ全土、というか世界中で非常に有名なお菓子らしく、当然アメリカにもフィリピンにも、お隣韓国にもあるそうです。知らないのは日本人だけかもしれません。
翌日、先生が Nutella を買ってきてプレゼントしてくれました。
一度味わってみるとこれは本当においしくて、それ以来必ず1瓶常備してあります。
近所のスーパーでスティック型の味なしクッキー(チョコレートのついていないポッキーのようなもの)が束で安売りしているので、それに Nutella を付けて食べたり、パンに塗って食べたり、バナナに塗ってみたり。
イタリアの子供達(時々大人も)はみんな指で直接かき出して食べ、テレビを見ている間に1瓶なくなってしまうとか。
調べてみると、どうやら日本でも輸入食品を扱っている店(成城石井とか)や、洋菓子の材料を扱っている店には「ヌテラ」という名前で置いてあるようです。これらの店に行く事があったらぜひ探してみてください。
2010年5月17日月曜日
番外編 ドバイ
バンコクからドバイを経由してミラノへ戻ったのですが、途中ドバイでの待機時間が9時間もありました。午前0時に到着して9時に出発です。せっかくなのでかの有名な世界一高いビル、ブルジュ・カリファ(以前はブルジュ・ドバイという名前だったのですが、変わったそうです)を見に行く事にしました。
ちなみにドバイの空港は、いやに高級感がただよっていました。
午前6時ごろ、あたりも明るくなってきたので空港を脱出。8時には空港に戻ると友人と約束したので2時間しかありません。空港に置いてあったガイドブックを見てみると、空港からブルジュ・カリファまで鉄道で行けるみたいです。ドバイだし、現金がなくても電車ぐらい乗れるだろうと、換金もしないでそのまま空港の駅へ。
さすがに朝早いためか、切符売り場はがらんとしています。警官らしき人が2,3人立ち話をしていたので、ブルジュ・カリファに行くための乗り場を聞きに行きました。すると、キミは日本人かね?と聞かれたのでYesと答えると、その警官の態度が急変。いやに親切になり、どの切符を買えばいいとか、ここにお金を入れるんだよとか、クレジットカードで切符を買うならそこの窓口にいくといいよ、とかいろいろ教えてくれました。そういえば入国のパスポートチェックのときも、いやに笑顔で「おはよう!」とか声をかけられました。ドバイでは日本人の印象が良いのでしょうか?
そんなわけで無事往復切符を購入し、電車に乗る事ができたのです。
(ちなみに写真の電光掲示板には空港ターミナル1と書いてあります)
まちがいなく、ブルジュ・カリファと書いてある(25番)。ブルジュ・ドバイから名前を変更した痕跡も。
もしかしてアレは…
20分ぐらいかけてようやく駅に到着!
パシャリ。高さ828メートル。
しかし写真を見てなんとなく気づいたかもしれませんが、駅からビルまで結構はなれているうえに、周りはいまだ工事中でがらんとしています。また比較対象が近くに無いため、いまいちビルの高さを実感できませんでした。
駅のまわりはこんな感じで、いかにも未完成。
できればビル内部まで行きたかったのですが、そろそろ帰らないといけない時間になっていたので、残念ながらこのまま空港へ戻る事に。
駅からの眺め
遠くに霞んで見えるのは、もしかしてドバイ7つ星ホテルのブルジュ・アル・アラブでは…
電車からパシャリ。まるで近未来都市です
ちなみに車内は飲食禁止です。気をつけましょう。
このあと空港に戻って友人と合流したのですが、空港で知り合ったというイタリア人も一緒にいました。彼は北イタリアにある小さなオリーブ園で働いているらしく、今度エキストラバージンオイルを送ってもらえることになりました。届くのを楽しみにしています。
そして再び6時間ほどかけてミラノへ戻ったのですが、ミラノの空港でのパスポートチェックの手際がそれはそれは悪く、行列もどこにどう並んでいるのか良く分からず、並び始めてから通過するまで1時間ぐらいかかりました。タイでもドバイでもみんな綺麗に列を作っていたのに…。
先生曰く、イタリアで「行列」を作るようになったのはここ10年ほどの話らしく、年齢が上の人ほどバンバン割り込んでくるらしいです。はあ…
ちなみにドバイの空港は、いやに高級感がただよっていました。
午前6時ごろ、あたりも明るくなってきたので空港を脱出。8時には空港に戻ると友人と約束したので2時間しかありません。空港に置いてあったガイドブックを見てみると、空港からブルジュ・カリファまで鉄道で行けるみたいです。ドバイだし、現金がなくても電車ぐらい乗れるだろうと、換金もしないでそのまま空港の駅へ。
さすがに朝早いためか、切符売り場はがらんとしています。警官らしき人が2,3人立ち話をしていたので、ブルジュ・カリファに行くための乗り場を聞きに行きました。すると、キミは日本人かね?と聞かれたのでYesと答えると、その警官の態度が急変。いやに親切になり、どの切符を買えばいいとか、ここにお金を入れるんだよとか、クレジットカードで切符を買うならそこの窓口にいくといいよ、とかいろいろ教えてくれました。そういえば入国のパスポートチェックのときも、いやに笑顔で「おはよう!」とか声をかけられました。ドバイでは日本人の印象が良いのでしょうか?
そんなわけで無事往復切符を購入し、電車に乗る事ができたのです。
(ちなみに写真の電光掲示板には空港ターミナル1と書いてあります)
まちがいなく、ブルジュ・カリファと書いてある(25番)。ブルジュ・ドバイから名前を変更した痕跡も。
もしかしてアレは…
20分ぐらいかけてようやく駅に到着!
パシャリ。高さ828メートル。
しかし写真を見てなんとなく気づいたかもしれませんが、駅からビルまで結構はなれているうえに、周りはいまだ工事中でがらんとしています。また比較対象が近くに無いため、いまいちビルの高さを実感できませんでした。
駅のまわりはこんな感じで、いかにも未完成。
できればビル内部まで行きたかったのですが、そろそろ帰らないといけない時間になっていたので、残念ながらこのまま空港へ戻る事に。
駅からの眺め
遠くに霞んで見えるのは、もしかしてドバイ7つ星ホテルのブルジュ・アル・アラブでは…
電車からパシャリ。まるで近未来都市です
ちなみに車内は飲食禁止です。気をつけましょう。
このあと空港に戻って友人と合流したのですが、空港で知り合ったというイタリア人も一緒にいました。彼は北イタリアにある小さなオリーブ園で働いているらしく、今度エキストラバージンオイルを送ってもらえることになりました。届くのを楽しみにしています。
そして再び6時間ほどかけてミラノへ戻ったのですが、ミラノの空港でのパスポートチェックの手際がそれはそれは悪く、行列もどこにどう並んでいるのか良く分からず、並び始めてから通過するまで1時間ぐらいかかりました。タイでもドバイでもみんな綺麗に列を作っていたのに…。
先生曰く、イタリアで「行列」を作るようになったのはここ10年ほどの話らしく、年齢が上の人ほどバンバン割り込んでくるらしいです。はあ…
2010年5月13日木曜日
番外編 タイ旅行(3)
さて、こちらはバンコク。
反政府の赤シャツ隊がスカイトレイン下の道路を封鎖、集会を開いていました。
彼らを刺激するのを防ぐためなのか、警官らしき人は誰もいません。
すぐそばの歩道では赤シャツをたくさん売っていました。
彼らと一緒に写真を撮っている観光客もいて、あまり緊張感は感じられません。
僕がバンコクに到着した前日に、この駅のそばで爆弾が爆発したようです。その影響で駅は閉鎖、有刺鉄線で歩道が遮られ、たくさんの兵士がいました。といっても、車道を経由して簡単に中に入れるのですが。単にまっすぐ進めないってだけで。
さすがに前日爆弾騒ぎがあったせいか、駅付近は繁華街だと言うのに人影もまばらです
兵士と記念撮影。この後お礼に、彼らにペットボトルの水を買いました。
実はバンコクに到着してから4日目ぐらいに、かれこれ15年ぐらい会っていないイトコが旦那さんとともにバンコクに住んでいたことを思い出し、連絡を取って滞在最後の夜に一緒に夕食をとる事にしました。
僕達のホテルまでイトコが来てくれ、4人で楽しく夕食。その後、友人がクラビで知り合ったロシア人2人と合流するというので、イトコ夫婦も含めてみんなでカオサンロードへ行く事に。途中のタクシーの中では僕と友人がイタリア語で、イトコと僕が日本語で、イトコとタクシーの運転手がタイ語で、友人とイトコが英語で話していると言う、よくわからない状況になっていました。
爆発のあった駅前とは異なり、少し離れた場所にあるためかカオサンロードはひたすら盛り上がっています。
そして疲れ果てた体でホテルに戻って泥のように眠り。翌日バンコクに別れを告げたのです。
反政府の赤シャツ隊がスカイトレイン下の道路を封鎖、集会を開いていました。
彼らを刺激するのを防ぐためなのか、警官らしき人は誰もいません。
すぐそばの歩道では赤シャツをたくさん売っていました。
彼らと一緒に写真を撮っている観光客もいて、あまり緊張感は感じられません。
僕がバンコクに到着した前日に、この駅のそばで爆弾が爆発したようです。その影響で駅は閉鎖、有刺鉄線で歩道が遮られ、たくさんの兵士がいました。といっても、車道を経由して簡単に中に入れるのですが。単にまっすぐ進めないってだけで。
さすがに前日爆弾騒ぎがあったせいか、駅付近は繁華街だと言うのに人影もまばらです
兵士と記念撮影。この後お礼に、彼らにペットボトルの水を買いました。
実はバンコクに到着してから4日目ぐらいに、かれこれ15年ぐらい会っていないイトコが旦那さんとともにバンコクに住んでいたことを思い出し、連絡を取って滞在最後の夜に一緒に夕食をとる事にしました。
僕達のホテルまでイトコが来てくれ、4人で楽しく夕食。その後、友人がクラビで知り合ったロシア人2人と合流するというので、イトコ夫婦も含めてみんなでカオサンロードへ行く事に。途中のタクシーの中では僕と友人がイタリア語で、イトコと僕が日本語で、イトコとタクシーの運転手がタイ語で、友人とイトコが英語で話していると言う、よくわからない状況になっていました。
爆発のあった駅前とは異なり、少し離れた場所にあるためかカオサンロードはひたすら盛り上がっています。
そして疲れ果てた体でホテルに戻って泥のように眠り。翌日バンコクに別れを告げたのです。
番外編 タイ旅行(2)
漠然と抱いていた嫌な予感が的中…
滞在6日目、バンコクからタイ南部にあるクラビへ移動するために夜行バスを当日予約しました。
政府の運営するVIPバスです。あまり安い怪しげなバスだと、バス内で提供される飲み物に睡眠薬が入っていて、眠った隙に全て盗まれる…という事があるそうです。気をつけましょう。
ホテルからバスターミナルまで、道がすいていればタクシーで20分ほどの距離なのですが、夕方から夜にかけて激しい渋滞があるので、念のために2時間半前にホテルを出発しました。
ホテル前でタクシーを捕まえて、料金メーターを利用することを確認してから乗車。しかし乗車後ふと見てみるとメーターが動いていません。運転手に文句を言ってものらりくらりとかわし、メーターを動かす様子が無いので、そのまま下車。
次にバイクタクシーを捕まえましたが、バスターミナルまでは遠すぎると拒否。渋滞もひどくなってきたので、それなら一番近いスカイトレインの駅まで連れて行ってくれと頼み、運んでもらいました。
そしてスカイトレインに乗車。しかし帰宅ラッシュに巻き込まれ、日本の通勤電車並みの混雑振り。友人は「こんなのイタリアではありえない!!」ととても苦しんでいました。
今度はトゥクトゥクを捕まえましたが、少し進むごとに停車して地図をみせろとせがんできます。どうやら目的地が良く分かっていない様子。あきらめて再び下車。
しかし下車した場所が悪かったのか、タクシーもトゥクトゥクも全く見つかりません。雨も降り始めてきました。30分ほど近くをさまよい、ようやく1台のタクシーを発見。もう時間がありません。
幸いにもこのタクシーの運転手はすぐに目的地を理解してくれました。しかし渋滞でほとんど進まず、結局バスターミナルに到着したのは予定時刻を30分すぎたとき。
目的のバスはすでに出発していたのですが、幸いその次のバスに乗せてもらうことが出来ました。VIPバスではないのですが、乗せてもらえるだけ感謝です。
そして翌日クラビに到着。
ホテルで聞いてみると、20分後に4島めぐりの船が出港するようで、急いで準備して港へ。なんかいつも急いでいるような気がします。
船の店が出ていましたが、少し高め。誰も客はいませんでした。
これぞパラダイス。
そして4つの島をめぐり終わり、これから帰ろうと言うときに…
なんと引き潮で浅くなった海底(岩場)に船が引っかかり、動かなくなってしまいました。
男達全員が船から下りて全力で押してみたのですが、まったく動く気配がありません。
さらに近くの空が急に暗くなっていて、嵐の予感がします。
どうにもならないのでレスキューを呼びました。空はさらに暗くなっていて、いつ大雨が着てもおかしくありません。
そして助けの船が到着。乗客から拍手が沸き起こります。
そのレスキュー船も浅すぎて近寄れないので、みな船を下りて、海を歩いてわたりました。
腰ぐらいまでの水深なのですが、岩場で足元が不安定なうえに波があり、非常に転びやすい状況です。みな持ち物をぬらさないよう必死に歩きました。
どうにか全員無事にレスキュー船に移動。その途端に大雨が降り始めました。
みな「これで映画をつくろう!」とか「これこそアドベンチャーね」とか言って盛り上がっていました。
僕はと言うと、海を歩いていたときに岩場で足を傷つけて血を出し、さらにここが赤道付近だと言う事を忘れていてクリームも何も塗らずに炎天下にいたため、体中が真っ赤に日焼けしてしまいました。
いままでに体験した事がない、ひどい日焼けです。とにかく何をしても痛いし、何もしなくても痛い。
つづく...
滞在6日目、バンコクからタイ南部にあるクラビへ移動するために夜行バスを当日予約しました。
政府の運営するVIPバスです。あまり安い怪しげなバスだと、バス内で提供される飲み物に睡眠薬が入っていて、眠った隙に全て盗まれる…という事があるそうです。気をつけましょう。
ホテルからバスターミナルまで、道がすいていればタクシーで20分ほどの距離なのですが、夕方から夜にかけて激しい渋滞があるので、念のために2時間半前にホテルを出発しました。
ホテル前でタクシーを捕まえて、料金メーターを利用することを確認してから乗車。しかし乗車後ふと見てみるとメーターが動いていません。運転手に文句を言ってものらりくらりとかわし、メーターを動かす様子が無いので、そのまま下車。
次にバイクタクシーを捕まえましたが、バスターミナルまでは遠すぎると拒否。渋滞もひどくなってきたので、それなら一番近いスカイトレインの駅まで連れて行ってくれと頼み、運んでもらいました。
そしてスカイトレインに乗車。しかし帰宅ラッシュに巻き込まれ、日本の通勤電車並みの混雑振り。友人は「こんなのイタリアではありえない!!」ととても苦しんでいました。
今度はトゥクトゥクを捕まえましたが、少し進むごとに停車して地図をみせろとせがんできます。どうやら目的地が良く分かっていない様子。あきらめて再び下車。
しかし下車した場所が悪かったのか、タクシーもトゥクトゥクも全く見つかりません。雨も降り始めてきました。30分ほど近くをさまよい、ようやく1台のタクシーを発見。もう時間がありません。
幸いにもこのタクシーの運転手はすぐに目的地を理解してくれました。しかし渋滞でほとんど進まず、結局バスターミナルに到着したのは予定時刻を30分すぎたとき。
目的のバスはすでに出発していたのですが、幸いその次のバスに乗せてもらうことが出来ました。VIPバスではないのですが、乗せてもらえるだけ感謝です。
そして翌日クラビに到着。
ホテルで聞いてみると、20分後に4島めぐりの船が出港するようで、急いで準備して港へ。なんかいつも急いでいるような気がします。
船の店が出ていましたが、少し高め。誰も客はいませんでした。
これぞパラダイス。
そして4つの島をめぐり終わり、これから帰ろうと言うときに…
なんと引き潮で浅くなった海底(岩場)に船が引っかかり、動かなくなってしまいました。
男達全員が船から下りて全力で押してみたのですが、まったく動く気配がありません。
さらに近くの空が急に暗くなっていて、嵐の予感がします。
どうにもならないのでレスキューを呼びました。空はさらに暗くなっていて、いつ大雨が着てもおかしくありません。
そして助けの船が到着。乗客から拍手が沸き起こります。
そのレスキュー船も浅すぎて近寄れないので、みな船を下りて、海を歩いてわたりました。
腰ぐらいまでの水深なのですが、岩場で足元が不安定なうえに波があり、非常に転びやすい状況です。みな持ち物をぬらさないよう必死に歩きました。
どうにか全員無事にレスキュー船に移動。その途端に大雨が降り始めました。
みな「これで映画をつくろう!」とか「これこそアドベンチャーね」とか言って盛り上がっていました。
僕はと言うと、海を歩いていたときに岩場で足を傷つけて血を出し、さらにここが赤道付近だと言う事を忘れていてクリームも何も塗らずに炎天下にいたため、体中が真っ赤に日焼けしてしまいました。
いままでに体験した事がない、ひどい日焼けです。とにかく何をしても痛いし、何もしなくても痛い。
つづく...
番外編 タイ旅行(1)
イタリア人の友人がタイから衣服を輸入しているのですが、例の大規模なデモの影響で、工場が操業停止してしまったとか。これは直接現地に行って話さないといけないと言う事で、彼が2週間ほどバンコクに行く事になりました。
なので、ついでに僕も一緒に行く事にしました(あいこちゃんはボローニャに残ります)
というわけで番外編です。
アイスランドの火山噴火の影響で、ヨーロッパ各地の空港が閉鎖されていたのですが、幸いにも出発の前日に再開し、問題なく行く事ができました。
ボローニャからミラノまで電車で3時間、駅から空港までバスで1時間、エミレーツ航空でドバイまで6時間、ドバイで4時間待機、さらにバンコクまで6時間かけて行きました。長かった…。
タイに到着!いたるところに王様の写真が飾ってありました。とても人気があるみたいです。
ボローニャはまだ寒かったのですが、タイは完全に夏でした。
信号にカウントダウン機能がついているのがとても便利。
ホテルの近くにあったヒンドゥー教の寺院。
100バーツでミサンガみたいなものを買って手首に結んでもらったのですが、20分後、気がついたら消えてなくなっていました…。
次の日には船で川を進んでいき、大きな仏教の寺院に行きました。
有名なスリーピング・仏陀。柱に囲まれた狭い建物の中に在るので、全体像を撮ることは出来ませんでした。
20バーツ(70円ぐらい)で、コインのようなものが大量に入った器を買って…
大量に並んだ壷に1枚1枚入れながら歩いていくのですが、コインが10枚ほど足りず、すべての壷に入れることは出来ませんでした。他の人はみな充分な数のコインを持っていて、最後の壷に余ったコインをジャラジャラ投げ込んでいるのに…。
すぐになくしたミサンガもどき、足りないコイン、不幸の前触れにしか思えません。
そして不幸が現実に。
つづく…
なので、ついでに僕も一緒に行く事にしました(あいこちゃんはボローニャに残ります)
というわけで番外編です。
アイスランドの火山噴火の影響で、ヨーロッパ各地の空港が閉鎖されていたのですが、幸いにも出発の前日に再開し、問題なく行く事ができました。
ボローニャからミラノまで電車で3時間、駅から空港までバスで1時間、エミレーツ航空でドバイまで6時間、ドバイで4時間待機、さらにバンコクまで6時間かけて行きました。長かった…。
タイに到着!いたるところに王様の写真が飾ってありました。とても人気があるみたいです。
ボローニャはまだ寒かったのですが、タイは完全に夏でした。
信号にカウントダウン機能がついているのがとても便利。
ホテルの近くにあったヒンドゥー教の寺院。
100バーツでミサンガみたいなものを買って手首に結んでもらったのですが、20分後、気がついたら消えてなくなっていました…。
次の日には船で川を進んでいき、大きな仏教の寺院に行きました。
有名なスリーピング・仏陀。柱に囲まれた狭い建物の中に在るので、全体像を撮ることは出来ませんでした。
20バーツ(70円ぐらい)で、コインのようなものが大量に入った器を買って…
大量に並んだ壷に1枚1枚入れながら歩いていくのですが、コインが10枚ほど足りず、すべての壷に入れることは出来ませんでした。他の人はみな充分な数のコインを持っていて、最後の壷に余ったコインをジャラジャラ投げ込んでいるのに…。
すぐになくしたミサンガもどき、足りないコイン、不幸の前触れにしか思えません。
そして不幸が現実に。
つづく…
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